母として、そして女として

能登ご出身のIさんは白山市で飲食店を経営されています。お店が大繁盛店と言うこともあり多忙でご実家への帰省が遠退いていたところ、お母様のご病気が見つかりました。病状はかなり進行し病気が見つかった時点で手の施しようがなくなっていたそうです。

お母様が『余命3ヶ月』と宣告されたIさんは4年近くご実家に帰られてなかった母の元へお店の休日に足しげく通われました。その時に仰った言葉が『余命は知ってた方がよい。あと3ヶ月と言われたら忙しくても親の顔を見に会いに行くものや』でした。

そして3ヶ月が経ち、12月に入りお母様は吐血し倒れられました。すぐに救急車を呼びタンカーに乗せられる途中、お母様は『私、未だお風呂に入ってないから入ってから病院へ行くわ』と。『何を言うとる!血を吐いとるんやぞ!そんな場合ではない』と言う周りの言葉にお母様は『ならばせめて下着だけでも替えさせて』と言いながらも一刻を争う事態に緊急搬送されていきました。

病院に着いて間もなくIさんのお母様は天に召されました。

Iさんは今、死ぬかもしれないと言う人間がお風呂に入ってから病院へ行くとか、下着を替えるなんて…と言って苦笑いをして話してくれましたがIさんのお母様のように母であって、女としての恥じらいとプライドを最後まで捨てない生き様に心を打たれました。

そして、Iさんのお母様は立派にご活躍されているIさんを自慢の息子さんだと思っていたことでしょう。

 

 

能登と言えば、『能登や優しや土までも』

 

 

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